商店街の中のヨーロッパ | |
一井宏磯さん
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京都の町なかの商店街に突如現れたヴァイオリン工房。ヴァイオリンを作り、直しながら、訪れる人たちとの語らいのひと時を何より楽しむ。一井さんはここにどんな工房を作ろうとしているのか・・・。 |
PHP 1998年6号 通巻601号、1998年6月1日発行より | |
取材・文 合力佐智子/写真 清水 茂 |
京都御所まで歩いて五分ほどの河原町今出川から伸びる出町商店街は、京都の中でも古く賑わいのある商店街である。魚屋、八百屋、漬物屋、金物屋の並ぶアーケードを通り抜け、左に折れて酒屋の前に現れるのが、「イチイ ヒロキ ヴァイオリン・ワークショップ」。 ご主人の一井宏磯さんは、高校生の時にヴァイオリン製作家になろうと決心し、二十歳の時にイタリアに渡った。ミラノに近いクレモナの国際ヴァイオリン製作学校とフィレンツェのフィエーゾレ音楽院で学び、ヴァイオリンの製作家でありプロのヴァイオリニストとして九年間をイタリアで過ごしたという経歴の持ち主である。その一井さんが、一九九七年十一月に出町商店街にヴァイオリン工房兼店舗を開いた。 商店街にヴァイオリン工房? 誰もが不思議に思うのか、オープン以来半年ほど経つ今でも、通りすぎる人たちがガラス越しに覗き込んでゆく。 「ここだけヨーロッパしてるって、商店街の人にも言われるんですよ」 間口二メートル、奥行き五メートルほどの小さな店内に、一井さん手作りの一枚板の大きなテーブルと、工具がズラリと並んだ作業用テーブルがあり、奥にはヴァイオリンの入った化粧棚。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを合わせても二十台に満たない、ごく小規模な店舗だ。 しかもこんな立地条件で、商売が成り立つのだろうか・・・・そんな不安をぶつけてみた。
人と人のかかわりが
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一枚の板から慎重にヴァイオリンの胴を掘り出していく。ヴァイオリンの響きに一番重要なのがこの膨らみだ。 |
一井さん夫妻、今回の取材陣三人の計五人でほぼいっぱいになるくらいの広さしかない店だが、かえってアットホームな雰囲気がして居心地がいい。街の中心から離れていて不利に思える立地も、京都大学、同志社大学、京都府立大学などの管弦楽団を抱える大学から交通の便のよい所をと考えてのことだった。メインのお客となる学生が入りやすく、長時間でも気楽にいられる------そんな雰囲気がしっかりプロデュースされているのが感じられた。
しかし、「イチイ ヒロキ」の魅力はそれだけに留まらない。
なにより一番の魅力は、海外から直接楽器を買いつけるため、いい楽器を安く提供できるということだ。イタリアに九年いたおかげで、日本ではあまり知られていない、若くても実力のある製作家や見る目を持った販売業者を知っているという基盤を持っているためでもあるが、それ以上に、納得のいかない楽器が来た時は送り返すなど、自分の要求するレベルを常にはっきり伝えることで信頼関係を作り上げてきた結果でもある。
さらに強みなのは、修理・調整する一井さん本人が、演奏者でもあるということ。
たとえば、大きな店になるほど楽器の修理・調整は店とは違う別の場所で行なわれ、楽器の持ち主と修理をする人が直接話すことは少ない。
「演奏者は『もっと柔らかい音がいい』とか『もうちょっとはっきりした音にして』とか言いますが、明確な数値があるわけじゃないからなかなか思うとおりには直ってこないんですよ。その点私は演奏者だったからその感覚がわかりやすいし、お客さんの目の前で演奏しながら調整していけるので、満足していただきやすいんです。一度来てくれた人はその点でかなり信用してくれますし、うちに来るお客さんの多くが誰かからの紹介だということは、その信用の証だと思ってます」
大型店とは違い、強い宣伝力も販売力も持っていなかった「イチイ ヒロキ」の魅力作りは、すべて人間関係から始まっているようである。
しかし、そんな一井さんにも、人づきあいを苦手としていた頃があった。
高校生の頃、一井さんは常に小さな苛立ちを感じていた。規則だ、きまりだ、ああしろ、こうしろとさまざまな規範を押し付けられ、そこからはみ出した者には容赦ない日本のシステムに対する不満。それを嫌いながらも、「変わっている」と思われることでその枠組みから外されることへの恐怖。どうにもならないまま自分の殻に閉じこもり、人とのコミュニケーションがうまくとれなくなっていたのだという。
「でも、イタリアに行って変わりました。ラテンの血のせいかな。イタリアでは変わっているのが普通で、それは悪い事じゃないんだ、他人と変わっているところは自分の長所なんだ、ということを教わりました。技術の面はもちろんだけど、精神的な面でも、イタリアに行って本当によかったと思います」
少し言葉を探しながらも楽しげに語り、「人間関係こそが楽器や音楽を作っていく上での一番の喜び」とまで言う今の一井さんからは、想像しがたい姿である。
イタリアから一時帰国のつもりで日本に戻った一井さんにとって、九年ぶりに見る日本は、納得のいかないことがあふれていた。
たとえばヴァイオリンを教えるならば、イタリアでは譜面を間違いなく弾けることはもちろんだが、それ以上に、その曲を自分なりにどう解釈し、どんなふうに弾きこなしていくかを大事にする。ところが日本では、何とか間違いなく弾けるようになったと思ったらさらに難しい曲を与え、いかに難しい曲を弾くかという技術のことばかり教えている。
楽器を買うにしてもそうだ。業者の中には値段に見合わない価値のヴァイオリンを高く売る者もいれば、一方では質もわからぬまま高いことだけに安心している人たちがあまりにも多い。
もっと弾く人の立場に立った店を作りたい------そんな思いを実現させる場所として、「イチイ ヒロキ ヴァイオリン・ワークショップ」を開いたのだった。
今のところ、楽器の修理・調整がメインの仕事となり、お客さんの途切れた合間に少しずつ製作をするという状態だ。
この日のお客は二組。一組目は大学でオーケストラに参加している男女の学生さん二人で、これまでに何度も訪れている常連さん。今日はチェロの調整のため来店した。
音の調整は、楽器の中で表板と裏板を支えている「魂柱」という小さな柱を、ホールから棒を差し込んで動かして行なう。少し動かしては響き具合の変化を弾いて確かめ、少し弾いてはまた魂柱を動かす、の繰り返し。一井さんの指の間から、ふくよかなチェロの音が響き出す。
「イチイ ヒロキ」では、一つの出会いが次ぎの出会いを生み出す。 |
二回目の来店となる女性に連れられて、もう二人の男性が初めて訪れたのだ。プロの縦笛の奏者である男性を中心に、太鼓やさまざまな楽器でセッションをするパフォーマンスをしているそうだが、古道具屋で手に入れたという古いヴァイオリンを二台持ってきた。
「うっわ〜っ」
男性がヴァオイリンケースを開けると、思わず一井さんの口から声が漏れる。かなり安定の悪いケースの中に、ヴァイオリンの上に直接、毛がぼろぼろになったアルコ(弓)と縦笛がゴロリ。
どちらのヴァイオリンも顎あてがほしいとのことだが、一井さんはアルコから目が離せない。手にとらせてもらうが、毛を張り替えたところでどうにもならないことが判明。それだったらと、一井さんは棚の上を探り始めた。
「古い家具を処分しようとする時、引き出しの中にヴァイオリンが入ったままってことが時々あるんですね。最近も見つかって、ヴァイオリンは使えそうになかったんですけど、弓は使えそうと思ってとっておいたのがあるんで、いりませんか?」
毛の交換の実費だけということで交渉成立。このまま棚の上で眠り続けるだけだったかもしれないアルコが使い手を得ることができた。
高いことだけが楽器の価値じゃない。必要とする人に、必要とされているものを、可能な値段で。一井さんのお店は、そういう出会いの場所でもあるのだ。
イタリア時代を含めて、一井さんが作った楽器は三十台余り。今はどこで誰が持っているのかわからないが、京都で偶然にもその一台と再会することができた。
ある日訪れたアマチュアのオーケストラに、ベースを弾いているアメリカ人がいた。彼もイタリア語ができたので会話をしていたところ、イタリアに住んでいた時、日本人が作ったという珍しいヴィオラを買ったと言う。ひょっとしてと思って聞いてみると、作ったのはイチイヒロキという日本人だと言うではないか。
何のツテもコネもない日本で、新しいことを始めた不安の中で、自分の作った楽器と出会えた不思議に励まされた。
調整に来た学生さん相手にレッスンになることもしばしばだという。 |
イタリアでアメリカ人が買ったヴィオラに京都で再会する------この極めて低い確率の偶然に、一井さんは自分とヴァイオリンを取り巻く目に見えない輪を感じた。
「昔は最高の楽器を作ろうとか、作った楽器が売れればいいと思っていましたが、実際に一台目が出来てみると、作ったものがすごく大事になって、誰が買ってくれるのか、使っている人は喜んでいるのかが気になるようになりましたね。今の仕事は自分の関わった楽器に対する反応がダイレクトに返ってくるのが嬉しいですね」
そう語る一井さんの笑顔は、人と人、人と楽器の輪をつないでいく喜びにあふれていた。
*
取材を切り上げようとすると、待っていたように先程の大学生たちが、
「あのチェロ、弾かせてもらっていいですか?」
「あ、私も弾きたい」
と、化粧棚の隣の最近入ったばかりらしいチェロを指さした。一井さんは快くケースからチェロを取り出しセッティングする。傍らでは「遅くなったけど」とテーブルの上にテーブルクロスを敷き、お昼を広げだした。フランスパンにサラダ、チキン、スナック類が並ぶ。さらに、お昼にもかかわらずワインの栓を抜くあたりもヨーロッパ流だ。
通りすがりの人たちが、さっきまで以上に、一体なんの店だろうと目をこらして覗いて行く。普通の楽器店ではありえない光景だからだ。しかし音楽にはより深いところで人と人とを結び付ける力があるのだから、楽器を売ったり、修理をするだけではもったいない、という「イチイ ヒロキ」らしい光景である。
店主と客という上下のつながりではなく、同じ音楽を愛する者同士として対等につきあうから、「イチイ ヒロキ」ではお客さん同士も横へ横へと広がっていくのだろう。
「彼を見ていると、好きなことして、人生楽しかったら、それでいいんじゃないかと思いますね」
誰かがささやいた。
好きなことを楽しんで続ける------それは好きなことを諦めるよりも、頑固にやり通すよりも、ずっと難しい。そのコツを一井さんはヨーロッパの中でつかんできたのだろうか。
自分の基準を信じて、変わっていることを楽しもう。商店街の中にあえてヨーロッパという異空間を作ったのは、そんなメッセージを伝えるためかもしれないと、ふと思った。